コスキン - 2015
久しぶりの更新だ
今日は先週書き留めたものを載せよう
今日は先週書き留めたものを載せよう
今年も無事コスキンを見に行くことができた
珍しく雨が降ったり止んだりの空模様だったけど、会場の熱気はいつもと変わらず活気に満ちていたように思う
でも、残念な報せがひとつあった
コスキン・エン・ハポンの創立メンバーであり、コスキンのポスターを担当されていた神保亮さんの訃報だ
失礼なことに、今回会場にて神保さんのお話を伺うまでどういった方なのかまるで知らなかった
以前のエントリーにも書いているがポスターを担当されている方、という印象のみ残っていて実際どういった方だったのか知る機会は設けなかった
子供の頃はどこか怖さを感じるポスターだったが、今ではこれこそ川俣コスキンの表紙だ、というほど神保さんの絵が自分の中に定着していることもあって、訃報に接して少なからず衝撃を受けている
音楽というものを意識して選択するようになる前、本当の子供の頃から中南米音楽に触れる場を与えてくれた方のひとりだ
こういった場ですることではないのかもしれないが、それでも感謝の意を残しておきたいと思う
毎年、フォルクローレと味わいのある画に触れられることがずっと楽しみでした。
時間的になかなか福島に遊びに行くことができない自分にとって、年に一度のこのイベントはとても大きな存在です。それはこれからも変わらず、ずっと心の支えになってくれる場であり続けるでしょう。
その感謝の気持ちをお伝えする術はいくつもあったのかもしれません。
しかし、自分にとってはこういう間接的な形が一番あっているようで、失礼を承知でここに書き残させていただくことにしました。
最後になりますが、この素晴らしいイベントを通して毎年様々な感動を受け取ってきました。それはこれからも変わらず、心を満たしてくれる時間を得ていくことになるでしょう。
これまでと、そしてこれからにつきまして、幸せな時間を得る場を与えていただき本当にありがとうございました。
時間的になかなか福島に遊びに行くことができない自分にとって、年に一度のこのイベントはとても大きな存在です。それはこれからも変わらず、ずっと心の支えになってくれる場であり続けるでしょう。
その感謝の気持ちをお伝えする術はいくつもあったのかもしれません。
しかし、自分にとってはこういう間接的な形が一番あっているようで、失礼を承知でここに書き残させていただくことにしました。
最後になりますが、この素晴らしいイベントを通して毎年様々な感動を受け取ってきました。それはこれからも変わらず、心を満たしてくれる時間を得ていくことになるでしょう。
これまでと、そしてこれからにつきまして、幸せな時間を得る場を与えていただき本当にありがとうございました。
以上、短いけれど自分の中のけじめとして書き残しておく
では改めて川俣コスキンの記録をつけていこう
当日、午前中は所要で寄り道
果樹園に囲まれた道、土壁の残る昔ながらの家屋、近すぎず遠すぎない山の風景
どこを見ても心を満たしてくれるものばかりで、この時点でかなり癒された
午後から会場に入り楽しみにしていた音を満喫
途中Los FritosさんのCaminandoを聴いて勘違いに気付く
想像していた曲はPra nao dizer que nao falei das floresだと
その「Caminando」はRebootがサンプル使用した曲名じゃないか、と苦笑い
などと油断しているところに唐戸ハーレムさんのJesus Es El Caminoを聴いて覚醒
女声の「サントーサントー」が振り付け含めて非常にツボに入り、聴いてる途中で「あ、やばい」と焦る
これは絶対尾を引くタイプの声質だ、と
案の定、帰ってきてすぐ検索するはめになった
でもあの爽やかな歌声が聴けるわけもなく凹んでいる最中
これはなんと表現したらいいのか難しいところだが、「憧憬」という言葉が一番しっくりくるだろうか
あの声は昔どこかに忘れてきたような「憧れ」という感情を思い出させて、そわそわ疼くような心持にさせられる
そんな女声の質感にまさに憧れを感じている
間違いなく今年のコスキンで一番の収穫だった
その後もしばらく会場で中南米の音と踊りを堪能していたが、前日から崩しかけていた体調が悪くなってきたため後ろ髪を引かれながらも退場してみたものの、どうしても川俣の町中を散策したかったので無理を押してウロウロ開始
結果、2時間近く夢中で散歩することになった
その間、体調不良を忘れるくらい川俣の町の雰囲気に浸ることが出来たのは嬉しい誤算だ
今年は役場の新庁舎を建設中ということでいつもとは別の駐車場をお借りしたが、去年ほど会場から遠くなかったので散策に避ける時間が多くなったのも良い意味で影響した
歩きながら改めて感じたのは、この町への憧れが強く残っていること
理由がハッキリとしているわけではないが、胸のあたりが安心感で満たされる心地良さは今住んでいるところよりも強く感じるように思う
だからといって安易に移住すればいいのかというと、それもまた違うのだろうと感じる
たぶん今の距離感があるから憧れとして胸の中に残っているのだろうということ
満たしてしまえば、また新しく飢えてくる部分が出るものだ
年に数回、癒しを求めに遊びにいけるくらいが丁度いいのかもしれない
だから、また春先にでもゆっくり散策にいけることを楽しみにしつつ川俣コスキン日記の締めとしよう