高倉健さんとCENTRAL PARKS - CENTRAL PARKSTAKE ME THERE (Original Mix)

「鉄道屋」のサンプルを使った曲

※「鉄道員」の誤記。大変失礼いたしました…(2014-11-19:追記)



子供の頃から馴染みのある有名な方の訃報が増えてきている

自分の年齢を考えれば自然かもしれないが、心はガキの頃から成長してないから余計驚いてしまう

「嘘だろ、だってあんなに元気そうだったじゃないか」

と、映画やドラマを見た際の姿が基準になってしまっている

それが何年も前の作品にも関わらず、今でもその頃のように元気だと錯覚しているんだろう

普段TVをあまり見ないから、たまに見た時に知ってる有名人が映ったりすると凄く驚く

この人こんなに年取ったのか…と

そういうギャップを感じた時、同時に自分の年齢を意識させられて不安になることも増えた

人は皆平等に老いる

自分の身をもってそれを感じると、残された時間に漠然とした恐怖を感じずにはいられない

何を望み、何を残し、何のために生き、どんな所で終わりを迎えたいのか

高倉健という人はTVの向こう側にいながら、これほど大きなショックを与えて去っていった

そう感じる人は幾人もいると思う

それだけのものを残していったんだとも思う


じゃあ自分はどうだ

今まで誰かに必要とされたことがあるか

誰かから生涯を共にしてもいいというくらいの信頼を得たことがあったか

得るための努力から逃げ出して、今になって恐ろしくなっているだけじゃないか

そもそも誰かをそこまで思ったことがあるのか

自分が求めず人に求めさせようとするつもりだったんじゃないのか

おまえは結局自分の殻に閉じこもっていただけだ

自分を満たすためだけに生きてきて、変わらないまま人の信用を得ようとするのか

そんな傲慢が通じるのは夢の中の世界ぐらいしかねえよ

自分だけのために生き、何も残さず、ひとりでろくでもない終わりを迎える

今のままじゃそれが現実になるから恐怖を感じるんだろう

足掻くか諦めるか、やるかやらないか

詰まるところそれだけのことなのに


…内容がどんどん健さんから離れていくからそろそろやめよう


最後に、ひとりひとりの名は載せずに失礼します

音楽界、芸能界、様々な影響を与えてくれながらも去ってしまった方々へ

ずっと生きてこの世にいて欲しかった

そんな我侭な思いをこれからも抱えていくことを許してください

願わくば、皆様の残したものが100年200年と時代を超えて残りますように